初めに、コメントを頂きながらそのままにしておいてしまった失礼をお詫びいたします。知識不足でした。すみません。 佐野 曉
台本「怪盗 鼠小僧次郎吉(課題)」について、おおまかでではありますが、ご報告いたします。ブログにも記しましたが、台本化にあたって、「義賊・大奥・お陰参り」の三つのプロットを設定しました。そして、具体的作業を進めながら、義賊の場面では、貧しい人たちにおカネを施す(ばら撒く)義は如何なものか?と・・・、鼠たちの「農」への転身を考えました。大奥の場面では、庶民・貧者とかけ離れた派手な所にいる将軍とその周りの人たちの「孤独と欲」をみつめました。お陰参りの場面では、今の暮らしを「抜け出したい」と願う心情に触れようとしました。そうして、ストーリーとしては以下の展開をイメージしました。
お上・為政者が下々の苦しい生活を考えてくれないなら、貧民が自分たちで自分たちの世界をつくってしまおう!!というオハナシを、「検地外農業」(年貢の掛けようのない、検地されていない田畑での、合法的非合法?農業)とそういう「農」への義賊たちの転身をからめて語り・・・・・・
一方、お上や為政者自身も、実は先行き不明であることの、孤独と欲の「皮肉」を、トップである将軍さまの出奔(家出・さすらい)と周りの人たちの自己中を、おどけで語り・・・・・・
結局は、上も下も、どこかで・・・現況を抜けたがっている「在所離(あくかれ)」、
つまり、憧れがあるのではなかろうか、という欲求を「お陰参り」で語ってみようか、と
・・・・・・
そうして、その抜けて行く先を、みんなが愉快に楽しく暮らせる「安楽世界」のイメージで括ってみようか・・・と考えました。
演出的には時代劇を借りたメルヘンを軽妙にステージ化できたらと想っています。
メルヘンとは時代を映す寓話です。「たとえばなし」です。
今の社会は、おカネとモノに囲まれ、一見、明るく暮らせているように見えますが、どう考えても、先行きは不安です。為政者も頼りない。(頼みの綱である)人と人が繋がって(社会を良くしよう)という幻想も語られなくなっています。そんな社会を、悲しみながらも笑っちゃうぜ・・・と批判したくなってしまう心境、とか、もっといい所・いい事がないかいな?とかいう脱出願望・・・等々を下敷きにした「たとえばなし」として、貧民が自分たち自身の農業世界に挑み、絆された義賊が健康的な農民に変身し、将軍が家をお城を抜け出て?流離ってしまうというオハナシをつくりました。面白おかしく大胆に出演者たちに演じて貰おうか、と稽古場に通っています。まだ、稽古は始まったばかりです。
これからが楽しみです。 佐野 曉(さとし)