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演出メモ 8
 先回の演出メモ7で、実験劇場の「フツーの演劇」について書きましたが、今日は、じゃあ、どんな作品をやって来たのか・・・、レパートリーを記します。

 1991年の11月にしずおか演劇祭は始まりました。その第1回目のレパ(作品)は、今年の2月に上演した「決定版 十一ぴきのネコ」(作、井上ひさし)でした。以降、8回まで演劇祭は続き、そのレパ群は以下の通りです。
                                         #2 1993年・ 3月 活劇ミュージカル「宝島」(作、寺山修司)
 #3 1994年・ 3月 スペクタクルファンタジー「12の月の物語」(作、ボー    マルシェ)  
 #4 1994年・11月 集団創作劇「トリップスター」
 #5 1995年・11月 「モモと時間どろぼう」(作、エンデ)
 #6 1997年・ 3月 ドリームファンタジー「青い鳥」(作、メーテルリンク)
 #7 1998年・ 3月 恋の面白まじめファンタジー「夏の夜の夢」(作、シェイ    クススピア)
 #8 1999年・ 4月 水のメルヘン「夜叉ヶ池」(作、泉 鏡花)

 この回まで演劇祭は続き、2001年、しずおか演劇祭実験劇場として再開しました。
実験劇場のレパは以下の通りです。

 #1 2001年・ 4月 もうちゃんの「好色」ものがたり(原作、芥川龍之介)
 #2 2003年・ 2月 仮宿橋物語「夢の乱」(作、佐野 曉)
 #3 2004年・ 3月 天守物語(作、泉 鏡花)
 #4 2005年・10−11月 「羅生門」(作、佐野 曉)
 #5 2007年・ 2月 ・・・はるか伝説の島の<クライトン>(原作、Jmバリ    ー 台本、佐野 曉)
 #6 2008年・ 2月 ミュージカル「決定版 十一ぴきのネコ」(作、井上ひさ    し)
 #7 2009年・ 2月 『鼠小僧治郎吉』(仮題)・・・・・<現在、準備中>

 以上です。

 ご覧の通り、作品群名はみんなフツーの演劇といっしょです。一応、全作品の演出を私
佐野が担当して参りましたが、公演を重ねるごとに、作品の細部に試みを重ねるごとに、
つまり、原作のままでは上演が難しいので、細かく具体的に作品に関わり、潤色化を試行しながら、わたし達の「劇づくり」はフツーなんだと考えられるようになった・・・と、
言えましょうか・・・。
 かって、アンダーグランドの劇の方法は、新劇的な巧拙を離れたところにあって、そこ
のリアリズムを乗り越えようとしていました。その方法の根っこは「出演する者」の個の肉体性に拘る姿勢があった・・・個の私史性の露出とでも言えましょうか、ドキュメンタル趣向がありました。私、佐野もその渦中にいた者として、障害者と健常者がいっしょにという発想の劇を担うにあたって、戸惑いながらもアンダーグランドの感覚を思い出して、改めて方法化していたと言えます。出演者の個(心ごと身体ごとの)の露出を軸に、劇をみつめればいいのだ・・・・・ならば、対応は出来ようと。

                             
                            佐野 曉
 




| しずおか演劇祭実験劇場とは? | 演出メモ | 16:31 | comments(0) | -
演出メモ 7
 昨日、24日(土)静岡芸術劇場に泉鏡花の「夜叉ヶ池」を観に行って参りました。演劇祭で上演した作品でもありましたので、興味深く、表現スタイルの違いとか役者さんの訓練されたアクションとか・・・楽しく観させてもらいました。就中、役者さんの打楽器を演奏しながらのステージ表現にはちょっとジェラシーに近い感情が起こりました。
 それにつきましても、ステージの「セリ」について疑問がひとつ残りました。というのは、今年の2月、実験劇場は同じステージで公演をしましたが、その折は強い調子で「セリ」の使用を禁じられ、私たち spac も、奈落は倉庫代わりで「セリ」は、機材出し入れのために、云々、と村松さんという担当者に告げられて、公演での「セリ」使用を断念いたしました。所謂、表現の変化を余儀なくさせられた訳です。しかるに、昨日の「夜叉ヶ池」では、くだんの「セリ」を大小、清々使用したステージを目の当りにしました。楽しく演劇を観るやら、何だこりゃ・・・使ってるじゃん!?嘘ついたのかよ!!マズいぜ・・・と、思わされるやらで、複雑な気持ちでいっぱいになりました。「セリ」は表現効果を上げるための機構です。演出の宮城さんも効果的に使用されていました。

 嘘言っちゃいけねえよな・・・・・!!


 と、不満たらたらではありますがが、そのことは何れちゃんとお聞きすることにして、今日は、演劇祭と『フツ−の演劇』ということに少し触れてみたいと思います。

 ご承知かと思いますが、しずおか演劇祭実験劇場の特色は「障害者と健常者の競演」にあります。が、わたし達のつくっている演劇はフツーの演劇です。障害者と健常者が競演してなどと言うと、障害者に対する福祉センスの如何(いかん)は・・・?それは芸術なのか?・・・と、問われそうですが、なんとも、フツ−の演劇を・・・と答えるしかありません。が、実のところ、障害者問題は不問に出来ませんし、わたし達も本当はそのことで悩んできました。ですから、そういう問いを無視することは出来ません。
 しかし、いま、実験劇場が辿り着いたところから言えば、あんまり有益な問いではないように思えます。演(や)る者の体力と気力があれば、どっちでもいいことです。と記すのも、世の中には障害者も健常者もいるからです。それがフツーです。同じように、背の高い人も低い人も、美男美女もそうでない人も、気の強い人も弱い人も、ずるい人もお人よしの人も・・・・・そういう人がいっぱい集まって世の中は出来ています。ならば、そんなふうないろんな「人達」が、そのまんま正々堂々、演劇に登場すればいいだけのことです。世の中と一緒です。長く現場の活動をしてきて、遅ればせながらそういうことに気付いたのです。ひょっとして、それは、「体力と気力」を虚実に遊戯させる、演劇の得意技ではなかろうかとも。
 たしかに、障害者の出演については、動いたり視たり聞いたり喋ったりすることの不自由さ、とか交流の障害とかが伴うでしょう。しかし、それも現実、フツ−の日常性なのですから、そのまんま演劇に登場人物として出てしまうことは、可能でしょう。何もそこに面倒な理屈はいりません。出てしまえばいいのです。かって、障害者を演じる健常の名優がいました。座頭市、丹下左膳の俳優さんしかりです。その演技力は認めなくてはならないでしょう。だからと言って、障害者を健常者が演じるばかりが演技ではないでしょう。
障害者が夫々の不自由さを抱えたまんま、その、「動視聞喋」を尽くし、障害のある登場人物を演じればいいのです。
 が、しかし、ここにひとつ大きな問題があります。それは、ほとんどの脚本・戯曲が、残念ながら、たとえ障害者の登場人物であろうと、健常者(健常の俳優)が演じることを前提に書かれているということです。セリフの言葉、文脈、息づかい、間、ト書、行動指定、場面指定・・・・・など等、大概、障害者仕様ではありません。あのシェイクスピアもリチャード3世を障害者が演じることを前提にしていません。劇作家、劇詩人がそういうことにボケーッとしていたとは言いませんが、障害者にとっては不便でしょう。無理をして演じても、不自然な露出を、妙な、よくある過剰評価でなぞることにもなりかねません。
 ですから、わたし達はいま、いろんな「人」が出てきて、いろんな思いがけないことをやったり、言ったりして・・・場面や情景・・・をみせて、いくらか多音的で多色的になるかもしれませんが、そういう所謂、雑駁(ざっぱく)?さを抱え込みながら、だからこそ、 〜人と人が生きて在ることの問いをエイサイティングに〜 物語れるのであろうと一番に、それを支える脚本・戯曲、つまりはおおらかな台本を求め、試行をかさね、あれこれ模索し、他所の方々が演劇をつくるように、フツーの演劇をやっているのです。ひとつふたつの遠回りはあろうかとはおもえますが・・・それも、創造的にみれば、あたりまえ、フツーのことでしょう。

                             佐野 曉
 
 
 
| しずおか演劇祭実験劇場とは? | 演出メモ | 17:12 | comments(0) | -
演出メモ 6
 現在、5月17日(日)のオーディションの合否を検討しているところですが、先日も記しましたが、濃いキャラが集まってくれたので、如何に選考しようかと、謂わば、贅沢な逡巡・・・。しかし、今回の『鼠』には、「鼠・お陰参り、抜け参り・将軍さま」の三つの夫々のプロットで、たくさんの登場者群に活躍してもらおうと計画しているので、実は、集まってくれた員数で足りるかなァ・・・という心配も一方にあって、どうしたものか・・・と、台本づくりも絡めて、考えております。
                                         ところで、この台本づくりについてですが、今回は、台本化を佐野が全てをやっつけてしまうのではなく、「岡康史」さんという瑞々しい協力者に助けてもらって、今は、一緒にすじがきとか、登場者云々・・・を話し合って作業をしています。私、佐野が発案して
岡さんが書いて、検討して・・・という創作スタイルを採っている。といえましょうか。まだ最初の段階ですが、共同作業を、楽しくシビヤーにやって参ろうと考えております。
 岡さんのプロフィールについては、後日、紹介させてもらおうか・・・と、思っています。というのも、勝手に書いて誤報してはいけないでしょうから。本日のところは、お楽しみに・・・ということで、失礼させてください。

                                         プロットについて先日の分に追記します。

 私は以下の発想を岡さんに話し合いました。

1、鼠のプロットでは「義」の「賊」がどれくらいのお助け賊か?ホントのお助けマンで  あろうか・・・。世直しの凄い泥棒なのであろうか・・・・・
2、お陰参り・抜け参りのプロットでは、江戸大衆庶民の存在格差による「欝と自己解放
  の狂騒」性を見据えよう・・・・・
3、将軍のプロットでは、為政者の下々の生活者との、泣きたいぐらいな、笑っちゃいた  いくらいな乖離を・・・。そして、衆愚論で下々をかわそうとするインチキさをを。
  見て行こう・・・・・・・・

 以上のことごとを話し合いながら、私は、人の現状突破(突き抜け)への欲望心理のことが連想され、そうだよな、きっと誰でも今の自分の状態とか状況を変えて、朗らかに、前へ・上へ・斜めに・・・に飛躍したいと考えているよな・・・・・などと、もっともらしく考えていました。

                         佐野 曉    
| しずおか演劇祭実験劇場とは? | 演出メモ | 18:35 | comments(0) | -
演出メモ 5
 17日(土)のオーディションは納得のいく結果が得られました。と記すのも、参加者夫々のキャラクターの濃さに驚かされたからであります。今回のオーディションで私は、参加者にも告げましたが、台本に登場するキャラクターの多彩さを求め、キャラディションを考えていました。ですから、泣きキャラ、叫びキャラ、狂いキャラ、おっとりキャラ
殿様?キャラ、お姫様キャラ、おきゃんキャラ、インテリキャラ、狡猾キャラ・・・・・など等が、一同にはっきりと出揃ったオーディションは、うきうきするくらいに楽しく、これで役者は集まった、後は『台本だ』と、気持ちのいい緊張感をも覚えました。

                              佐野 曉
| しずおか演劇祭実験劇場とは? | 演出メモ | 17:35 | comments(0) | -
オーディション
全体説明
2008.5.17(土)に、グランシップ・しずおか演劇祭実験劇場共催の
「怪盗 鼠小僧次郎吉」のオーディションをグランシップで行いました。

事前に申込のあった応募者36名が参加し、演技・音楽・ダンスの3会場で
思い思いのパフォーマンスを披露してくれました。
自分の持ち味を充分に出して、エネルギッシュな楽しいオーディションとなりました。

当日参加できなかった応募者の追加オーディションの後、最終選考となります。

それでは、オーディションの様子は続きをクリック







続きを読む >>
| しずおか演劇祭実験劇場とは? | 記録−メディア等 | 00:21 | comments(0) | -
演出メモ 4
サードプロットについて書きます。

三つ目のプロットは
 時代背景です。いつの時代も生活のかたちや考え方、心のあり方などを支配者は政権維持のために画策します。鼠と「お陰参り」「抜け参り」の時は、武士が支配する、士農工商の封建時代で、その頭、カリスマが徳川家斉将軍でした。
 ところで、家斉将軍が大権を握っていた文化・文政・天保期は、又、芸術・芸能の花が咲き誇り、有名人が次々に名を成した時でもありました。喜多川歌麿、滝沢馬琴、並木五瓶、上田秋成、式亭三馬、柳亭種彦、山東京伝、大田蜀山人、鶴屋南北、歌川豊国、小林一茶、良寛さん・・・など等、有名人がきら星のようにです・・・。
 このきら星の群れと肩を並べようとした訳ではないでしょうが、「鼠小僧実記」で、次郎吉はこんなことを言っています。「・・・遠き昔の時代では熊坂長範、石川五右衛門、近代にては日本駄左衛門、又、神道徳冶郎杯(など)末世に知られし大盗人、我も乗り懸(かか)かりし船なれば、仮令(たと)ひ悪名なりとても名を残さんと思い立ちけり、就(つ)いては世間の金銀は此節兎角(とかく)不廻りにて、金持愈々(いよいよ)金を集め、貧人次第に貧しくなり、富人三分の貧人七分、憐れの世の中なれば、我は此れより力を尽くして世に無慈悲なる富人の金を奪って、一面に貧しき人に蒔(ま)き散らし、安楽世界にして遣(や)らん、然(さ)すれば我が名も世に知られん・・・・・」 ふむ、なるほど・・・もう、これは立派?な「あだ花宣言」ですナ・・・。とは言え、この実記も
実はフィクション、虚構で、演出メ2で触れた河竹や松林と同じような鼠の義賊化のひとつです。ちなみに、この実記を書いた人は不明です。
 が、私にはこの作者不詳の「あだ花宣言」が、くだんのきら星の皆さまが表した作品群と同値に思えます。と言うのも、この科白が名調子であるばかりでなく、ちゃんと時代の
闇の部分を見据えているからです。芸術・芸能、文化の母なる故里は時代の暗闇であると言えましょうから。この科白は又、現在の格差社会をも思わせてくれます。台本化にとって、とてもおいしい科白です。
 話がカリスマ家斉から脇にそれましたが、この家斉という御仁は、大奥カリスマの方が
有名で、類まれ強健な精力の持ち主であったと言われています。69才で没しましたが、正室の他に40人の側室を大奥に侍らせ、55人の徳川の子をなしています。自然なことでしょうか?私の五感にはどこかおぞましいような、くらーい音曲が聞こえてきます。しかるに政(まつりごと)は家来に任せきりだったようです。そういうカリスマ将軍ですから、ほとんど大衆庶民の暮らしは眼中になかったでしょう。恐らく家来たちたちも同じ、じゃなかったでしょうか?家斉将軍の下に、松平定信とか水野忠邦という優れた人格者がいて、大きな改革を試みていますが、何れも短期で挫折しています。そして、先の労中、賄賂で濁っていた田沼意次の時代を妙に懐かしむ空気もあったとも記されています。大火があったり、飢饉があったり・・・、政は武士が中心であったりで、日本の大衆庶民とっては暗い、文化・文政・天保だったのではないでしょうか。
 そんな時代背景を表す象徴的モデルとして、カリスマ将軍家斉さんを台本に登場してもらったら・・・、と私は考えています。ああ、今ぱっと浮かんだんですが、家斉さんが、
大奥全員の側室が「お陰参り」「抜け参り」に突き抜けてしまい、もぬけの空になってしまった、がらーんとした大奥で、将軍さまが・・・・・・「おかげでさ するりとな ぬけたとさ」・・・・と、めそめそするシーンがあってもいいかなあーと。

 今日のメモはとりあえずここで止めておきます。次を、後日書きます。

                             佐野 曉   
| しずおか演劇祭実験劇場とは? | 演出メモ | 23:43 | comments(0) | -
演出メモ 3
 今日はセカンドプロットについて書きます。

 セカンドプロットとして私は、「お陰参り」と「抜け参り」という江戸期の大衆庶民の奇妙なイベントを設定しようと考えています。この病的とも言えるお伊勢参りのオルギー(放蕩的騒動・遊興)は、どうやら、大きなうねりとして60年を周期に4回あったと記されています。その4回目にあたる騒動は1830年(文政13年)に起こり、最大級のうねりとなり、500万を超える庶民が伊勢を、踊り狂ったように目指したということです。
 ある記録によれば、当時の総人口が2952万ほどと推定されているから、6人に1人が出掛けた計算になるらしいです。凄い大騒ぎだったと言えましょう。
 ところで、この年1830年(文政13)は、我らが鼠35才、逮捕処刑される2年前
、盗賊稼業、油も大乗りに乗っていた時であります。私は鼠を調べている折にくだんの大衆庶民のイベントに出くわした訳ですが、その不思議なエネルギーと当時の騒動に対する為政者、つまりは徳川幕府の対応の緩さに興味を抱きました。例えば、詮議の厳しい関所の
通過にお咎めはなく、仕事の放棄(さぼたーじゅ)も問われることがなく、自由し放題が黙認されていた?のです。ひょっとして60年に1度のガス抜き、農工商・庶民の鬱屈感情を発散させる演出だったのでは?あるまいか・・・、反幕府感情への盛り上がりを削(そ)ぐ仕掛けだったのでは・・・と、はたまたそれは、家康公の遺訓でもあった・・・と、下手な推理もしたくなります。
 歴史学者の遠山茂樹さんは、「『お陰まいり』にあらわれた自由奔放な気分は、鬱屈した大衆の封建秩序への反撥が明確な階級意識をとらず、むしろ社会組織からの遊離として、流民化し群集化することによって偶発的に病的に表現されたものであった」とお陰参り・抜け参りの騒擾(そうじょう)を評しています。そうか・・・、なるほど、とおもえます。もし、庶民大衆が階級意識をもっていたら、違った形になっていたでしょうし、例えイベントであったにしても、限りなく動乱に近い現われ方をいたであろうと想えたりします。

            おかげでさ するりとな ぬけたとさ
            おかげでさ するりとな ぬけたとさ

 これは「お陰参り」「抜け参り」の道中で人びとが口々に歌い立てた「掛け声」です。
ここにはどう観ても反権力的意思は窺えません。自由になりたいという祈りのような希望のような心情がはっきりとしているだけです。
 そこで私は「お陰参り」「抜け参り」の位置と言おうか、設定の発想として、江戸期の大衆庶民の厳しい制度的鬱屈から突き抜けたい、自由とか自己解放への憧憬の遊戯、それを異形心情として、狂的痛快さを加え、置いてみようと考えています。

 以上がセカンドプロットの概要です。

 サードプロットは支配者、つまり徳川の側に設定を置いてみようかと考えています。が
次回に書きます。

                             佐野 曉
| しずおか演劇祭実験劇場とは? | 演出メモ | 12:12 | comments(0) | -
演出メモ 2
         「怪盗 鼠小僧次郎吉」のプロットについて

 鼠小僧の台本化にあたって、今、三つのプロットを設定しようかと考えています。
そのプロットに入る前に、どうして鼠小僧に興味を持ったかを書きます。きっかけは芥川龍之介の小説で、そこに登場するニセモノの鼠小僧が面白かったからです。旅の同行者となった本物の鼠小僧の前で、実は俺は鼠小僧だ・・・と、悪行の数々を並び立てるが、当の鼠小僧にぎゃふんとさせられ、参った参ったとなる小説です。鼻をへし折られるさまがコミカルで面白く読ませてもらいましたが、私は、そのニセモノという存在により興味を惹かれました。ニセモノというのは本物があってのニセモノで、さらに、その本物がしっかりしていないと、と言おうか、大きく名が通っていないとホント?のニセモノになれない。その意味で言えば、私、佐野曉のニセモノは絶対に現われない。じゃあ、鼠小僧の場合はどうかと言いますと、一般的な知識からすれば、大変な義賊として名が通り、相当な人気者だったということです。義賊人気ですか・・・。しかるに、くだんのニセモノはそこいらへんを忘れて、ぎゃーぎゃー俺は鼠小僧だ!!と凄み、悪行だけを騒ぎ立てた。それでぎゃふんとやっつけられてしまうのです。終いには鼻水を垂れ流して、ずるずる詫びる滑稽さもあわれに愉快です。が、ここで私は、もしその御仁が、義賊の方にポイントを置き、そのニセモノの鼠小僧を名乗ったらどうなっていたであろうか・・・?本物はどう対応したであろうか?と考えました。そこで、よせばいいのに、ひとつ、先ずは本物の鼠小僧をもっと知ってやれ、調べ始めたわけであります。実はちゃんと知らなかったのであります。
 が、それは、そこはかとなくも、「弱きを助け強きを挫く」という、明快でありながらほとんど死語に等しいイメージを与える、「義賊」とか「勧善懲悪」という言葉への関心があったからだったのかもしれません。天邪鬼的好奇心?かなあ・・・。
 しかし、調べて行くうちに、鼠小僧は正義の義賊でもなんでもなく、博打と女に明け暮れ、金に困ると盗賊家業に勢を出す、ただの溝鼠だったということがわかってきました。
がっかりするやら、その「ならず者」ぶりに感心するやらでしたが、一方、我々が恐らく抱いているであろう「義賊」のイメージとの落差は・・・?と、新しい興味がわいて、さらに調べますと、義賊のイメージは後に、戯作者の河竹黙阿弥とか講談師の松林伯円などが造りだした虚構だったことがわかりました。その義賊観が今に定着してしているということも・・・。
 じゃあ、どうして河竹や松林は鼠を義賊仕立てにしたのか?と言いますと、鼠が盗みに入った先が殿様や旗本・御家人の邸ばかりで、盗む金額も半端ではなく手口も鮮やかで、江戸の庶民が武士たちをからかい大喝采をもしていた事実があって、(人気があって)義賊仕立てにすれば、さらに舞台で大受けするだろう・・・、と、戯作者魂を発揮したからにちがいないと了解できました。
 そこで我々もおおいに戯作魂を磨いて、「義」とか「情」が薄れて久しい、口先だけが流行る今日、そんな昨今に抗ってみるのも面白かろう考えました。で、天邪鬼と言われようが何と言われようが、先達を真似て、鼠を心あふれる「義賊」の「鼠小僧」に仕立て、しかも、大胆にぞろぞろとニセモノだかホンモノだか・・・訳のわからない義賊たちが出て来てしまう滑稽譚を工夫してみようかと、現在、劇の取っ掛かりを想っている次第であります。ステージのイメージとしては、スペシャル時代劇スペクタクル!?とでも言えましょうか。そんなふうな・・・・・・・

 この感覚が今回の「怪盗 鼠小僧次郎吉」のファーストプロットであります。が、ここでプロットとストーリーの違いに少し触れておきます。プロットは台本とか登場人物を描く動機(何故?)で、ある種のメッセージ性を抱えているものです。ストーリーはそれを基にした筋立てのことです。この両方が巧く噛み合わないと、「劇」の味覚は薄いものになってしまいます。動機(何故?)と筋書きの阿吽(あうん)の共演は求められます。しかし、この両方はいつもきっちり順番に浮かぶとは限りません。プロットが先かストーリーが先か・・・、面白いと思います。

 セカンドプロットについては次回に書きます。

                             佐野 曉
| しずおか演劇祭実験劇場とは? | 演出メモ | 12:20 | comments(0) | -
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