鼠小僧についてちょっと・・・
鼠小僧次郎吉は大江戸で義賊ともてはやされたということですが、実際の次郎吉は、義賊でもなんでもなく、単なる泥棒で、貧しい人たちにお金を施す慈善のお人でも何でもない女癖の悪い、博打に明け暮れていた呑んだくれの「ならず者」だったということです。
それはそれでいいのかな・・・と、思えたりするのです。が、じゃあ、どうして義賊などと呼ばれるようになったのか?と言いますと、ひとつに、盗みに入る先がきまって、殿様や旗本・御家人のお屋敷であり、盗みのテクニックが鮮やかで盗む金額も半端じゃなかったこともありましょう。それを知った貧しい江戸の庶民が「ざまーみろ」とお金持ちの武士をからかい、一方で、鼠を喝采した。武士は威張っていましたから。さらに、そんなことごとをネタに、歌舞伎作者の河竹黙阿弥や松林伯円などが、エピソードを面白おかしくふくらめて、受けるストーリーを考え、貧しい庶民の正義の味方「義賊鼠小僧」を編み出し、これまた劇場大入?りの人気だったということです。そんな筋立てが今に語り継がれ、鼠小僧次郎吉は義賊になっているのだと・・・言えましょう。私たちはどこか鼠小僧イコール義賊のイメージを抱えていましょう。ちっとも悪人だなどとは考えていないでしょう。愉快なことです。
と、するならば、私たち実験劇場のお芝居で、義賊の鼠小僧がごちゃごちゃ登場して、俺がねずみだ!否、私がねずみよ!違う、われこそが・・・と、競い争う、時代劇スペクタクルも愉快じゃないかと、プロットを考えています。そして、台本の楽しい筋立ては、出演者それぞれの個性・印象・演技が最大に生かされるよう、オーデションを待って仕上げて行く予定です。
私たちは障害者の有無や演劇の体験に関係なくお芝居が好きで、演技力(演技的感受性と表現)に勝れた人はいっぱい居ると思っています。ただ、その人を知らないだけです。また、本人もその力に気づいていない人も居るでしょう。ですから、広く広く私たちは出演を呼びかけなくてはならないでしょう。
実験劇場は一回一回、新しいチームをオーデションでつくり、一人でも多くの豊かのな才能、個性が、新しく出会うことを願っています。そしてそれぞれの交流が深まり、自由に、思いっきりの演技力の競演してもらうことの、イキのいい交響の場所を共有すろことの夢を追い続けています。
私たちはお芝居に興味のあるいろんなひとたちと一緒にイキのいいステージをつくろう
といつもいつも考えています。