J・Mバリーの「The Admirable Crichton 邦題・あっぱれクライトン」は、絶海の孤島に漂着した英国の貴族と召使の一行が、その島での狩猟生活
を余儀なくされる − という諷刺的な戯曲です。プロットのポイントは、英国(都会)での生活と孤島での暮らしの条件の違いが起こす、主従の逆
転劇にあります。孤島では都会の常識や地位は役に立たず、大自然の中で生きる知恵と力のある者(戯曲では従者・召使)が自ずと上に立つというわ
けです。
私はこのプロットを基にしながら、その島が、実はふしぎな伝説のある島で − という、マジカルなイメージをひとつ加えて脚色してみようと、現在、以下のようなプロットを考え、準備しています。
とある貴族の主従が航海中、嵐に遭難し、絶海の孤島に漂着する。そこは無人島らしいのだが・・・、あちこちでみかける暗号のような文字と奇異な
出来事に、一行が仰天し翻弄される。が、それが実は、かつてその島に漂着した流民(ならず者)たちの幽界からの呼びかけらしいことが、だんだんわかってくる。その島を流民の「自然国」(桃源郷)にしようと計り、時の権力によって壊滅させられたことも。やがて、帰還もままならず、島の狩猟生活を余儀なくされた主従一行と幽霊たちの、おかしな異次元交流が始まる。その交感情景を通し、自然に生きることの − 本当の喜びとか、憧憬(あこがれ) − がみえてくる。こんなドラマを孤島の森と海と光を背景に、「命の賛歌」をイメージして、謳(うた)い描こうと考えています。
ドラマの登場者として、流民の幽霊を置き貴族の主従を配置する構図は、負を想わせる存在に正を想わせる存在を絡ませることで、「命の賛歌」を、より効果的に鮮明に描けると思えたからです。
※個人的趣向(幽霊とか、ならず者・はぐれ者といった、いわば列外者への傾斜)も多分あろうかとは思えますが・・・
以上が「クライトン」の脚色プロットの概案です。
演出的にはコミカルなスペクタクルファンタジーをイメージしています。
佐野 暁