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演出メモ 7
 昨日、24日(土)静岡芸術劇場に泉鏡花の「夜叉ヶ池」を観に行って参りました。演劇祭で上演した作品でもありましたので、興味深く、表現スタイルの違いとか役者さんの訓練されたアクションとか・・・楽しく観させてもらいました。就中、役者さんの打楽器を演奏しながらのステージ表現にはちょっとジェラシーに近い感情が起こりました。
 それにつきましても、ステージの「セリ」について疑問がひとつ残りました。というのは、今年の2月、実験劇場は同じステージで公演をしましたが、その折は強い調子で「セリ」の使用を禁じられ、私たち spac も、奈落は倉庫代わりで「セリ」は、機材出し入れのために、云々、と村松さんという担当者に告げられて、公演での「セリ」使用を断念いたしました。所謂、表現の変化を余儀なくさせられた訳です。しかるに、昨日の「夜叉ヶ池」では、くだんの「セリ」を大小、清々使用したステージを目の当りにしました。楽しく演劇を観るやら、何だこりゃ・・・使ってるじゃん!?嘘ついたのかよ!!マズいぜ・・・と、思わされるやらで、複雑な気持ちでいっぱいになりました。「セリ」は表現効果を上げるための機構です。演出の宮城さんも効果的に使用されていました。

 嘘言っちゃいけねえよな・・・・・!!


 と、不満たらたらではありますがが、そのことは何れちゃんとお聞きすることにして、今日は、演劇祭と『フツ−の演劇』ということに少し触れてみたいと思います。

 ご承知かと思いますが、しずおか演劇祭実験劇場の特色は「障害者と健常者の競演」にあります。が、わたし達のつくっている演劇はフツーの演劇です。障害者と健常者が競演してなどと言うと、障害者に対する福祉センスの如何(いかん)は・・・?それは芸術なのか?・・・と、問われそうですが、なんとも、フツ−の演劇を・・・と答えるしかありません。が、実のところ、障害者問題は不問に出来ませんし、わたし達も本当はそのことで悩んできました。ですから、そういう問いを無視することは出来ません。
 しかし、いま、実験劇場が辿り着いたところから言えば、あんまり有益な問いではないように思えます。演(や)る者の体力と気力があれば、どっちでもいいことです。と記すのも、世の中には障害者も健常者もいるからです。それがフツーです。同じように、背の高い人も低い人も、美男美女もそうでない人も、気の強い人も弱い人も、ずるい人もお人よしの人も・・・・・そういう人がいっぱい集まって世の中は出来ています。ならば、そんなふうないろんな「人達」が、そのまんま正々堂々、演劇に登場すればいいだけのことです。世の中と一緒です。長く現場の活動をしてきて、遅ればせながらそういうことに気付いたのです。ひょっとして、それは、「体力と気力」を虚実に遊戯させる、演劇の得意技ではなかろうかとも。
 たしかに、障害者の出演については、動いたり視たり聞いたり喋ったりすることの不自由さ、とか交流の障害とかが伴うでしょう。しかし、それも現実、フツ−の日常性なのですから、そのまんま演劇に登場人物として出てしまうことは、可能でしょう。何もそこに面倒な理屈はいりません。出てしまえばいいのです。かって、障害者を演じる健常の名優がいました。座頭市、丹下左膳の俳優さんしかりです。その演技力は認めなくてはならないでしょう。だからと言って、障害者を健常者が演じるばかりが演技ではないでしょう。
障害者が夫々の不自由さを抱えたまんま、その、「動視聞喋」を尽くし、障害のある登場人物を演じればいいのです。
 が、しかし、ここにひとつ大きな問題があります。それは、ほとんどの脚本・戯曲が、残念ながら、たとえ障害者の登場人物であろうと、健常者(健常の俳優)が演じることを前提に書かれているということです。セリフの言葉、文脈、息づかい、間、ト書、行動指定、場面指定・・・・・など等、大概、障害者仕様ではありません。あのシェイクスピアもリチャード3世を障害者が演じることを前提にしていません。劇作家、劇詩人がそういうことにボケーッとしていたとは言いませんが、障害者にとっては不便でしょう。無理をして演じても、不自然な露出を、妙な、よくある過剰評価でなぞることにもなりかねません。
 ですから、わたし達はいま、いろんな「人」が出てきて、いろんな思いがけないことをやったり、言ったりして・・・場面や情景・・・をみせて、いくらか多音的で多色的になるかもしれませんが、そういう所謂、雑駁(ざっぱく)?さを抱え込みながら、だからこそ、 〜人と人が生きて在ることの問いをエイサイティングに〜 物語れるのであろうと一番に、それを支える脚本・戯曲、つまりはおおらかな台本を求め、試行をかさね、あれこれ模索し、他所の方々が演劇をつくるように、フツーの演劇をやっているのです。ひとつふたつの遠回りはあろうかとはおもえますが・・・それも、創造的にみれば、あたりまえ、フツーのことでしょう。

                             佐野 曉
 
 
 
| しずおか演劇祭実験劇場とは? | 演出メモ | 17:12 | comments(0) | -
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